ぶろぐ

毒にも薬にもなりませんが、私の内面を少し知れるブログです。

このブログについて

どうも。タイトル通りにはなりますが、このブログの意図というか趣旨についてご説明したいと思います。本当ならこの記事はブログの最初に書いたほうが良かったとは思いますが、ふと思い立ったので頭の中にあった漠然とした構想を今更文字に起こします。

 

【始めた目的】

先ずこのブログの主たる目的は私の思考の言語化にあります。これは常々言っていることなのですが自分が考えていることの根底にある思想は自らを理解しようという試みを持って始めて表層に現れるもので、無自覚に何物かに感想を抱いていても真に理解することはできません。つまりこうしてブログの記事にすることによって私は私自身の思考を、これを読んでいる読者と同じレベルで把握しているということです(本当は私のほうが私に関する知識や前情報が多いのでちょっとだけ理解が進んでいます)。

 

こうして内面の言語化は私自身の在り方への問いになり、より自身に対する理解を深めるための手段となります。つまるところこれが本旨です。皆さんを私の自己満足に付き合わせているとも言えます。

 

 

ここまではブログを始めるに当たって私自身がどのような動機でブログを書き綴っているかという説明でこの先はそれを踏まえて皆さんにどのように見て欲しいかという願望を書きます。あくまで一例なので沿わなくても構いませんがどういうつもりで文章を公開しているかの理解にはなると思います。

 

【公開する理由】

結論から簡潔に書きますと、このブログを書いている理由は私の思想を皆さんの他者や世界に対する理解の糧にしてもらうことにあります。実際思想の言語化により自身の思考を理解したいだけであればわざわざブログの体をとって公開する理由は全くありません。

 

人間にはそれぞれに異なる人生があり、異なる哲学があります。

人生は選択の連続とはよく言ったものですが、その言葉は選択しなかった人生の存在を暗に含んでいます。私が綴る文章は恐らくこれを読んでいる皆さんが選択しなかった人生、歩まなかった道、その結果得ることのなかった自身とは異なる哲学を表面化させたものであり、選択しなかった側の結果を認識させるものです。

私の哲学と他者の哲学のどっちが優れているとかいう話をする気はありませんし、全面的な共感は全く、反駁もそれほど求めていません。

1つの人生では持つことのできなかった多数の支点を哲学書より雑多に、不明瞭に伝えることが本ブログの目的であります。

そのような前提のもと、異なる文化や価値観に対する関心として稚拙な文ではありますが、楽しんでいただけると幸いです。

 

 

 

極力特定の個人や団体を傷つけるような文章は避けておりますが、もし私のブログを読んで不快に思うことがあればお気軽にご連絡ください。レスバトルの準備はできております。